コラム

◆日本よ◆ 地球はどうなる

 本来梅雨のないはずの北海道にまで豪雨が降り、西日本の各地は連続豪雨のもたらした災害で瀕死のありさまだ。日本中で体温を越す猛暑が続き多くの人が死ぬ有様は画期的な惨状これはとてもただの異常気象として片付けられぬ現象だ。日本だけではなしに世界の各地で見られる事態で地球全体が狂ってきているとしか言いようがない。

 今年に入ってからの気象の異変を眺めると私は四十年前に東京で聞いた、ブラックホールの発見者の天才宇宙学者ホーキングの講演を思い出さずにいられない。

 彼はあの時この宇宙には地球並みの文明をそなえた生命体の存在する星は二百万ほどあるがその大方はすでに姿を消してしまった。それは今の地球並みの文明が進むと自然の循環が狂ってきて生命体の存在は長続きせず、そうした星は宇宙時間にくらべればほとんど瞬間的に自滅してしまうと言ったものだった。そこで私が宇宙時間に比べれば瞬間的とは地球時間で言えば何年くらいですかと質問したら、彼は言下に『およそ百年』と言い切ったものだった。

 彼は天才ではあっても神様でありはしないが、しかし同じ人間ながら天才を備えた者の予測と予言を私としては今地球にまぎれもなく起こっている現象を目の辺りにして強く思い起こさぬ訳にいきはしない。

 東欧の詩人ゲオルグは「たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日林檎の木を植える」とは歌ったが果たしてそんな気分でことが済むものだろうか。

 私はこの夏いきつけの伊豆七島にダイビングに行き水温の高さに驚かされたが、海水の温暖化による海の膨張と気化した海水は空にたまり豪雨となって降り注ぎ世界中で水害を引き起こし、膨れ上がった海は地球の自転の遠心力によって赤道に近い島々を侵食し、ツバルやフィジーのような島国は水没の危機にさらされている。私が訪れた砂州国家のツバルの人々は為す術もなしにマリファナを吸って恐怖をしのいでいた。それを目にして私は何十年か前に取材に出かけて目にしたベトナム戦争の最中恐怖と空しさを紛らわす為にマリファナを吸いまくっていたアメリカ兵達を思いだしていた。

 脳天気なアメリカ大統領のトランプは世界の言う温暖化はデマだとほざき、温暖化防止のパリ協定を無視してかかる。豪奢なトランプタワーに居座り、国の商売と金儲けしか考えられぬ男に世界が見える訳もあるまいが。このまま進んでアメリカが地球の破綻を防ぐ為に何もせず腕をこまねいて過ごしたなら、彼は人類の破滅を手も貸さずに見送った重罪犯人として歴史に登録されるだろう。

 北極海の氷は温暖化によって激減し白熊は生きるところを失い、氷の消滅によってやがて大西洋は遥か北の海域で水路を開かれ太平洋に繋がると言う。

 さればあの遥か北の海の底に眠る資源の開発に意欲を燃やす関係国達はこの今から既に腕をこまねいて新しい競争に立ち上がろうとしているが、そこで満たされる物欲が人間達に一体どれほどの何をもたらすと言うのだろうか。

  私はこの今になって初めて勤めた環境担当の大臣として、嫌がる官僚達の反対を押し切って訪れた九州の水俣で目にした水俣病の患者達の惨状を思い出している。

 経済の発展に託した人間達の物欲が文明発展と言う輝かしい看板の元でいかなる犠牲を我々自身に強いてきたことだろうか。

 西日本を恐怖にさらした異常気象のもたらした惨事を契機に、私達は自分自身よりも更に愛おしい子孫達の為にもっと大きな視野で空を眺め、海を眺めなおす必要があるのではなかろうか。この地球を守り抜くために。

◆日本よ◆「完全自立への道標」 憲法論議の空しさ

 安倍総理が一念発起して憲法の改正を唱えだしてから国家で憲法論議が盛んなのは結構だが、その一方モリカケ問題などと言う低劣な問題が現内閣批判に被せられて正統な最重要議題を稀薄なものにしているのは残念でならない。

 それにしてもこの問題を口にしている議員たちの歴史認識の無知と浅薄さには呆れている。例えば醜悪とも言える憲法の前文の中の助詞の間違いについて一つでも指摘できる議員が何人いることか。かつてシェイクスピアの全訳をもしたこともある福田恆存氏が言っていたが、憲法の前文なるものは英文和訳の答案としても落第寸前のものでしかないと。

 憲法の改正と言うのはそれを区切りにしての新しい歴史の造成に他ならない。そのためにはかつての日本の代表的知性だった小林秀雄氏が言っていた通り歴史を現実として考える時には少し遠い目で歴史を振り返り、歴史の問題について考えなくてはならぬはずだ。現憲法についての過去の歴史とはそれほど遠い事柄ではなしに、僅か数十年前の敗戦の祈りのこの国の立場についてのことだ。

 同盟国として戦いに敗れたドイツは降伏の際連合国に三つの条件をつきつけこれが受け入れられぬ限り徹底して戦うと宣言していた。
第一は敗戦の後のドイツの国家の基本法たる憲法はドイツ人自身が作る。
第二は戦後の子弟の教育方針はナチズムへの反省をこめてドイツ人自身が決める。
第三はいかに数少なくとも国軍はこれを保有することだった。
これに比べて日本は二発の原爆に腰を抜かして全くの無条件で相手の軍門に下ったのだ。

 さらなる巨きな過失は日本の独立が認められたサンフランシスコ条約が締結された時、当時の日本の首相吉田茂が敗戦直後占領軍が作って与えた憲法を独立国の主体性を踏まえて破棄しなかったことだ。

 あの大きな過失は日本の独立なるものが所詮虚構でしかないことを強く暗示している。それはかつて日本という国家の存在が世界の歴史の原理から外れたものだった事に因っている。
 日本と言う国家をアメリカに隷属させる必然性は世界の歴史、特に中世以後の世界の歴史の原理にのっとっている。
その原理とは『白人の有色人種への一方的支配』だ。それを象徴する興味ある文書が白人の精神的最高指導者であるバチカンの法王の公式書簡として最近発見されている。

 中世は大洋を渡る航海技術、と火薬、そして印刷術という三大発明によって幕を閉じたが、アラブ人から習った航海術で大西洋を渡った白人が最初の植民地として君臨したのは西インド諸島で、そこで彼等は原住民を持参した鉄砲で動物狩りのゲームとして撃ち殺しまくっていた。それを目にしていた同行の神父たちがさすがに見兼ねて当時のバチカンの法王パウロ三世にお伺いをたてたら、法王の公式見解としての返書があり、それには『有色人種は人間として認められない。ただし彼等がキリスト教に帰依したら人間として認める』とあった。

 もっと露骨な事例としては十五世紀に日本に渡来した宣教師たちが日本の大まかな地図を当時の法王に献上したら、法王がその地図を線引きして近畿から東から北はスペインにくれてやる、西から南はポルトガルに与えると宣言している。秀吉か信長が聞いたら即座に法王を切り殺していただろう。

 これらの歴史の挿話が証すように中世以後の世界の歴史の原理は白人による有色人種への一方的な支配だった。
それを象徴する二人のイギリス人がいる。未開な太平洋の全ての島々を訪れ、当時のイギリス王の名の下に植民地化してしまった名だたる航海者キャプテン・クックと、未開の蛮地アフリカ大陸を踏破し植民地化してしまった冒険家スタンレーだ。鎖国をしていた禁断列島の日本は幸いその難をまぬがれはしたが。

 そして鎖国の下での江戸時代の日本社会の成熟は江戸末期に到来した西洋文明を素早く咀嚼し有色人種の中で唯一の近代国家を作り上げてしまった。その新国家は西欧に真似て軍事に専念し白人たちに真似て己の植民地の開拓に専念し始めた。それが傀儡国家満州の誕生に及ぶと白人たちの列強はこれを看過できなくなり日本は彼等に追い込まれて行く。

 いずれにせよ国威の象徴たるロイヤルネイビーを造成しさらに世界最大の戦艦大和と武蔵を保有するにいたった有色人種の手によって作り出された強大な軍事国家『日本』なるものの存在は白人たちの目から見れば世界の歴史の原理にもとる許すべからざるものに他ならなかったろう。

 彼等が奉じる神の摂理にも背く大量殺人兵器の原爆行使。既に制空権を失った首都への焼夷弾による非人間的な絨毯爆撃の行使の背景に在るものは、世界史の原理に唯一背いた者への報復に他ならなかった。

 日本の無条件降伏によって君臨した新しい為政者の為政の眼目はこの国を二度と世界史原理に背かせぬということ以外にありはしなかった。彼等が手作りして押し付けた新憲法なるものは報復の手立ての一つにすぎない。

 世界有数の資源貧弱国家である日本が西欧の列強に伍し自立を保つためには枯渇している資源の確保に腐心しないわけにはいかなかった。そしてそこにつけこんで日本への資源供給を断つためのハルノートが発せられ日本は戦争に追い込まれ敗れるべくして敗れさった。

 日本を敗戦に追い込み戦後日本の支配者となったマッカーサー一九五一年の上院の委員会における極東政策を巡る公聴会で述べている、『日本には絹産業以外には国有の産業はほとんどんない。綿も羊毛もない。石油の産出も鍚もゴムもない。その他これは以外に実に多くの原料が欠如している。もしこれらの原料の供給が断ち切られたなら一千から一千二百万の失業者が出ることを彼らは恐れていた。したがって彼等が戦争に飛び込んでいった動機は大部分が自衛の必要に迫られてのことだった』と。

 これは正確な分析であり歴史的な真実に他ならない。しかしそれは決して敗者にとっての言い訳にはなりはなしない。

 我々は敗れるべくして敗れたのであったが壮烈な戦に敗れた者としての沽券はあるはずであって、敗者としての最低限の沽券と尊厳は絶対に守られなくてはなるまい。それは勝者による恩恵によるものではなくしてあくまで国家民族としての自負と名誉によって獲得されるべきに違いない。

 世界の歴史の原理に背いて稀有なる有色民族による自立国家を築いた日本を歴史の原理を背負って徹底して裁き骨抜きにした白人の列強に対して、その歴史原理に真っ向から背いて立ち上がった民族の沽券にかけて我々は憲法という国家の背骨をいまこそもう一度他ならぬ自らの手で書き直さなくてはなるまいに。

 日本語としてはいかにもたどたどしい憲法前文に続く九条にこめられたものは白人社会の依って立つ歴史の原理、つまり白人ファーストなる歴史の原理の永続保持に他ならない。そのためにこそ彼等は彼等の奉じる神の摂理にも背く瞬間的な大量殺人手段を控えはしなかったし、戦後間もなく突然持参した彼等の手作りの憲法の原案を政府関係者におしつけ僅かに三時間の間に熟読しこれを了とせよと厳命し、その間我々は日向ぼっこして原子力の恩恵に浴していようと恫喝とも嫌みともつかぬ捨て台詞で部屋を外していたという屈辱的な挿話を今国会などの場で憲法を論じている者たちの内の一体何人が記憶していることだろうか。

 この国の代表的知性ともいえた小林秀雄氏が言っていたように、憲法改正と言う新しい歴史の造成の時にあたって私達は一度さして遠くも無い昔の歴史を振り返って我々が論じ考えなくてはならぬものの所以を、己のためだけではなしに、間近な子孫たちの為にも考えなおさなくてはなるまいに。

 今は亡き江藤淳がいびつな憲法の有無をいわさぬ押し付けに象徴される、占領軍への一切の批判を禁じた強烈な言論統制について記した名著「閉された言語空間」が暗示するように、ある時突然一部の政府関係者も困り提示してわずか三時間の間に通読して了解せよとせまり「その間我々は外で日向ぼっこし原子力の恩恵にひたって過ごすから」と原爆を想起させる脅迫じみた冗談で当事者を追い込んだ為政者の横暴を我々は、今後の国家の在り方を規定する新しい憲法について論じるこの今にこそ想起せざるを得まい。

月刊ウィル七月号より転載

◆日本よ◆

毎月の第一月曜日に産経新聞に連載していた私のコラム『日本よ』が突然訳のわからぬ理由で馘になったので、昨今の祖国日本について憂こと多々なのでこのブログで皆さんに訴えることにしました。

 今一番問題になっている自衛隊のイラク派遣に関する日報の問題だが、これには実は古く深い根があります。それは国軍たる自衛隊には彼等の為の交戦規定がないのです。つまりいついかなる場合ならば武器を取って相手を打ち倒していいのかの規定がいまだに存在しない。

かつてスエズ運河を抜けてインド洋に抜ける出口のソマリアの海賊が暴れて世界が手をやいていた時要請を受けて日本の海上自衛隊が出動した時、これを憲法違反とした野党のある女性議員が地元の支持者を焚き付けその監視に送り出した。現地で船を雇って監視に乗り出したら雇った船そのものが危険で現地の自衛隊に自分達を守ってくれと泣きついてきたという茶番があった。その時手を焼いた自衛隊が本省にどんな判断をすべきか問い質したら、なんと返事は警察法にのっとって禁固三十日に該当するような行為に関しては戦えということだったそうな。一体どこの国の軍隊が交戦規定も持たずに現場に出かけることがあるだろうか。

 確たる交戦規定が存在しない国の軍隊なぞ有り得ぬ話でこれを不服としたある自衛隊のトップが是非規定を作って欲しいと広言したら、時の防衛長官の金丸信が怒って文民統制違反だとしてその男を罷免してしまったものだった。

 その後この国に政治家の自覚によって確たる交戦規定が出来たかどうかはわからない。在るならとっくに公表されるべきだろうに。

 そうした曖昧な状況の中で実はイラクや、スーダンにも自衛隊は派遣されていったのだ。特にイラクの場合は独裁者フセインを倒す為の連合軍と政府軍の戦闘最中で、破壊された道路などの整備のためとして借り出された日本の自衛隊は政府軍から見れば当然敵であって、自衛隊のキャンプにも次々に迫撃砲が撃ち込まれていた。そんな相手を迎え撃ち日本の自衛隊を守るのはどこか外国の軍隊ということで、自衛隊員はあくまで他人任せで後は身を凝らし布団を被ってひたすら祈って眠るしかなかった。その結果派遣されて行った隊員の中から数十人の退役者が出たという。彼等にすればこんな軍隊なんてあるものか、もうやってられないと言う事だったろう。

 と言う状況にさらされていたイラクへ派遣された自衛隊の日報に何が克明に記されていたかは想像に余るが、それがようやく白日の元にさらされるならば、あの過酷な状況の下で同胞の隊員達が交戦規定も作られずに彼等を場合によっては死地ともなるやもしれぬ所へ送り出していたということをこそ政治家達は自戒すべきではないのだろうか。

記者会見 一部内容訂正について

2017年3月3日 記者会見資料

豊洲時系列表_170303(配布資料).pdf

全編映像資料(2008年から2010年の定例記者関係における発言の一部)

(1)移転経緯について

先ず、築地から豊洲への移転が決まった経緯についてお話しします。私の都知事在任中に、豊洲移転に向けて、事業が大きく進んだことは間違 いありません。 しかしながら、99年4月に私が都知事に就任する10年以上も前の 86年に築地市場の現地再整備の方針が決定され、90年代前半に工事に 着手し、数百億円が支出されたにもかかわらず、頓挫したという経緯と、こ れによって東京都の幹部や市場関係者らが築地市場の限界を認めざるを得 なくなったという経緯がございます。すなわち、決して、初めから移転あり きで話が進められたものではなく、築地市場の操業を止めずに現地再整備 することが極めて困難で、暗礁に乗り上げたために、移転やむなしとなった わけです。 その後、移転先候補地を調査する中で、1995年には、有力な候補地として豊洲地区の名前が挙がるようになり、遅くとも1998年の時点では、 市場関係者の団体の過半が、豊洲地区を念頭に、移転推進の意見を取りまと めるに至っていたようです。 その後の1999年4月、私が都知事に就任して、早々に、豊洲という土 地への移転は既定の路線であるような話を担当の福永副知事から聞いた記憶です。 


(2)土地売買の経緯

次に、ここで東京ガスとの用地取得交渉の経緯について、お話しします。 報道によれば、東京都は、遅くとも、私が知事に就任する前年、 1998年の8月には豊洲地区の東京ガスの所有地の調査に着手しており、 同年9月には東京ガス本社を訪問し、説明したようです。 少なくとも、私の記憶の限りでは、東京都の関係部局が、豊洲地区以外の 候補地の地権者と具体的な協議をした報告を受けたことはありません。つ まり、私が知事に就任する以前から、東京都の関係部局では、「豊洲地区以 外に移転先の適当な候補地がない」との考えで一貫していたものと思いま す。 東京ガスとの具体的な交渉は、私の知事就任後は、まずは福永副知事、そ の後、2000年10月以降は濵渦副知事に、担当してもらいました。濵渦 氏から、交渉の細かな経緯について逐一報告は受けていませんでしたから、 私には詳細はわかりませんでしたが、こんなような話を進めているといっ た大まかな報告は受けていたのかもしれません。
最終的に、2011年3月31日に至って、東京ガスらとの間で、土地の 売買契約を締結しました。譲渡価格が妥当かどうかは、専門家に鑑定してい ただき、外部専門家が委員となっている都の財産価格審議会の意見も得て いたということですから、妥当であったものと思います。 また、売買契約の際の土壌汚染対策費用の扱いについて、現在、問題提起 がなされていますが、私は、詳細な契約文言について法律的判断をする知見 はありませんし,具体的な記憶はありません。ただ、時系列表をご確認いた だけばわかるとおり、売買契約以前に、東京ガスが当時の法令に従って必要 な土壌汚染対策を実施済みであり、東京都は、それを検査・確認していまし た。その範囲を超えて、法令が要求する水準以上の安心のための土壌汚染対 策については、東京都が相当程度の費用負担をすることも、十分あり得るこ とと思います。現に、都議会にも、土壌汚染対策費用の予算をお認めいただ いていたところです。 その上、最近見せてもらった契約書等の資料によれば,売買契約の際、東 京ガスには、78億円の追加負担をいただいたようです。


(3)豊洲市場の土壌汚染対策と建物下に盛り土が行われなかった経緯

土壌汚染対策の問題については、関係者は誰しもその必要性を分かって いたことですから、当然、用地取得交渉の過程で協議されていたはずですが、 専門的・技術的な事柄ですから、それらの知見を有する都の関係部局が検討 しており、私が具体的に判断した記憶はありません。 今般、確認したところによれば、都と東京ガスとの間では、土壌汚染対策 に関して、 「2002(平成14)年」及び「2005(平成17)年」に 合意を取り交わしており、都の環境確保条例に基づく対策、さらに、それ以 上の追加対策を、東京ガスの責任で実施いただくことを合意したようです。 その後、東京ガスは、2007(平成19)年4月までに、これら対策を実 施し、東京都環境局において、その完了を確認していたようです。 それでも豊洲用地の土壌汚染を懸念する声があったことから、万全を期 するため、同月、 「土壌汚染対策等に関する専門家会議」が設置され、安全 性の調査・検討をしていただいたところ、一部の地点から、環境基準を大幅 に超える高濃度の汚染が検出されたようです。 さらに、同専門家会議による調査結果及び報告書における土壌汚染対策 追加実施の提言を受けて、2008(平成20)年8月、「土壌汚染対策工 事に関する技術会議」が設置されました。同技術会議は、2次にわたって報 告書を公表しましたが、その結論は、一定の技術的対策を講ずれば、豊洲用 地の土壌汚染問題を克服できるという内容でした。つまり、同技術会議は、その時点における土壌汚染の状況を前提としても、豊洲新市場への移転は 可能であると判断したことになります。 私は、自分自身に技術的知見はありませんし、お配りした時系列表に記載 された細かな経緯についての記憶はありませんが、このような専門家会議 や技術会議の判断を踏まえて、政治家として、長年の築地市場問題を解決す べく、豊洲新市場への移転を政治判断し、2010(平成22)年 1 0月22日、その旨、記者会見で発表しました。 都知事就任から、2011年3月31日に土地の売買契約を締結するま でに、関係部局の職員らから私に対する豊洲移転についての報告の中で、土 壌汚染に言及されたことは、何度もあったものと思いますが、基本的には、 日本の技術で処理可能であると説明を受けていたと認識しています。 私は、実際、土壌汚染が処理できないということであれば、豊洲へ移転で きないし、無理に土地を購入すべきではないと認識していて、2009(平 成21)年12月には、メディアの取材に対して、そのような発言をしたこ ともありました。
次に、建物下に盛り土が行われなかった経緯については、私には何も記 憶がありません。この点は、小池知事のもとで、「調査特別チーム」が2 次にわたって詳細な調査をされましたが、私に報告がされた事実はなかっ たことを確認いただいたものと理解しています。私が平成20年5月30 日に記者会見で「新しい工法(空洞のコンクリートの箱を埋める案)につ いて指示した」と発言したことについても、地下空間の問題とは無関係で あったとの調査結果が公表されていますので、その資料をご確認いただき たいと思います。


以上

↑ページの先頭に戻る