コラム

歴史の蓋然性について ー白人世界支配は終わったー

  安倍総理の中東訪問にあてつけてかシリアのイスラム国が日本人二人をついに殺害する事件が起こり大騒ぎになっていますが、この所相次いでのイスラム系のテロ事件が起こる度に世界中が戦々恐々としての騒ぎですけれどこうした事件を非難したりその是非を論じたりする前に、何か大事な根底的なものについての認識といおうか反省がかけているような気がしてなりません。

 誤解を招かぬために前言しておきますが、私はたまたまワシントンに滞在中間近に目にした9・11のニューヨークの貿易センタービル破壊やその前日私自身が出かけて、横田基地を取り戻すための交渉でウォルフォウイッツ国防副長官と面談議論したペンタゴンがホテルの目の前で炎上するのを目にした連続テロに始まる「イスラム国」を含めての中東やアフリカにおけるイスラム系の残酷で非人道的なテロに共感する者では全くありません。しかし今回のパリにおける新聞社襲撃等が続く無残なテロ勃発の度極時的に起こる非難の中に根底的に欠落しているものがあるような気がしてならない。つまりああしたテロを敢えて行う彼らの行動の根底にある衝動の歴史的蓋然性は否定できないと思います。

 それはこれらの事件が人間が文化を保有し更に加えていくつかの宗教を派生させてきた長い歴史の流れの中のいかなる時点で勃発したかということを見定める大きな視点の欠如の問題だと思います。

 ナイジェリアで多数の女子を誘拐し奴隷化するなどと宣言したテロ団の指導者が最後にカメラに向かって銃をふりかざしわめいていた、「我々はキリスト文明の全てを破壊するのだ」という宣言には実は極めて重い歴史的な意味合いがあるような気がします。かつてニーチェは「西欧における神は死んだ」と言いましたが、その神をこそ彼らは今改めて殺してやるとわめいているのです。しかし大それたその宣言の背景には実は重く長い歴史的蓋然性があることを忘れてはこの問題への正しい対処は有り得ないと思います。哲学者のヘーゲルは「歴史は他の何にもましての現実だ」と説きましたが、キリスト教文明とイスラム教文明との相克は今に始まったことではなしに実ははるか遠く紀元二世紀においてもサラセン帝国とキリスト教圏との激しい衝突に始まり、中世の十字軍騒動以来実は今日まで延々と続いているのです。

 暗黒の時代といわれた中世紀には主にはヨーロッパが獲得した三つの新しい技術、火薬、印刷術、そしてアラブ人から伝授された大洋を渡る航海技術によって終焉しました。新しい文明の所産である新しい技術が古い文明を駆逐してしまうという歴史の力学を世界中で展開したのです。その典型はスペイン人が持ち込んだわずか三丁の鉄砲があの古くて由緒あるインカ大帝国をあっという間に滅してしまったという歴史の悲劇にうかがえます。そしてその悲劇はイスラム教徒を含む他の殆どの有色民族に及んだのです。

 それこそが中世紀以後人間の歴史の本流の姿に他なりません。

 つまり中世期以後の歴史の本流はキリスト教圏の白人、つまりヨーロッパの白人による、他のほとんど全ての有色人種の土地への一方的な侵略と植民地化と収奪による白人の繁栄の歴史でした。アフリカや中東、或いは東南アジアの全ての地域は西欧諸国の進出によって国境は区分され植民地化され一方的な隷属を強いられてきたのです。それはまぎれもない事実であり歴史における現実でした。

 バチカンに関する資料にもありますが過去のある時点でキリスト教の本山のバチカンで白人以外の有色人種は人間か動物かという議論が本気でなされたとこもある。ある法王は彼等がキリスト教に改めたら人間とみなすと宣言したそうな。またある法王は世界中の未開地を白人の領地として線引きしました。それによるとこの日本は近畿地方から北はスペイン南の部分はポルトガルのものとすると勝手に国境の線引をしています。白人の奢りもいいとこだ。

 今日声高に人権と民主主義を説いているアメリカもまたあの厖大なアメリカ大陸を、原住民だったアメリカインディアンを殺戮駆逐することで領有し国家として成立したのです。アメリカ大陸の東西を結ぶ大陸横断鉄道は白人たちが一方的に拉致してきて鉄道建設のために働かせた厖大な数のシナ人奴隷によって建設されたのです。

 ちなみにこの世界の中でもっとも長く最近まで黒人の奴隷制度を保持してきたのはアメリカに他ならない。その余韻は今でも頻発する黒人に対する白人警察官の発砲殺戮事件として続いている。

 近世において近代国家として再生した日本はその中での希有なる例外だったが、日本もまた、敗戦後の日本を統治解体したマッカーサーが、退任後アメリカ議会で証言したようにあくまで自衛のための手段として西欧の列強を真似して軍国化して植民地支配に乗り出さざるを得なかったのです。そうした歴史の流れのもたらした必然を無視して植民地支配と等質の論拠で戦後に行われた東京裁判での日本の近代化を非難する歴史観を踏襲した村山談話なるものを日本の政府が今さらに肯定しに踏襲するというのは歴史の流れという大きな現実を無視した無知の露呈といわざるを得ない。まして河野談話をです。

 起こした戦争を含めて有色人種の中で唯一の近代国家としての日本の誕生と存在は世界史の流れに逆らって大きな引き金を引いたのです。

 視点を現実に起こっているイスラム系のテロに向け直せば中世以後のアラブ地域やアフリカが強いられ被った歴史を見直せば、彼等が今改めて西欧の神を殺すと宣言して憚らぬ所以の歴史的な蓋然性に気づくべきに違いない。パリの新聞社に向けられたテロについてのヨーロッパ挙げての強い非難の論拠にフランスがかつての革命で手にして国是として掲げている「自由、博愛、平等」を踏まえるのは妥当としても、かつて植民地として支配したアルジェリアや他のアフリカや中東のイスラム圏でそれらの国是がはたして同じ人間のイスラム教徒に保証されていたかどうかは、あのドゴールさえが手を焼いたアルジェリアを巡る紛争を振り返れば自明のことです。

 世界中を大きな不安に貶めているイスラム系のテロに冷静に対処するためには、あれらの暴力行為の歴史的蓋然性について自覚することこそが何よりも肝要に違いない。

 要約すれば数世紀続いてきた白人の世界支配はヨーロッパの衰退と混乱が暗示しているようにようやく終わろうとしているのです。その今、新しい大規模な宗教戦争が始まろうとしているのです。それはかつてハンティントンが予言した文明の衝突以外のなにものでもありません。

 

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