石原慎太郎の理念・思想

人生論

恋愛について

落水覚悟で命綱もつけてかからなければならぬ相手の方が、満足も納得もあるだろうに

終わりがよければすべてがいいというのが人生の我慢とあきらめの原理ならば、風や潮に逆らわれぬ満ち足りた航海などありはしまい。

男と女の間も同じようなものだろう。場合によったらこちらも帆を縮めたり、落水覚悟で命綱もつけてかからなければならぬ相手の方が、満足も納得もあるだろうに。

女の方からみた男とて同じことに違いない。

『風についての記憶』(集英社)

「女は早いけどねえ、男は、少なくとも半年はかかるからね、忘れるためには」

「女は早いけどねえ、男は、少なくとも半年はかかるからね、忘れるためには」
空を仰いだまま彼はいった。

「半年も、かかるかね」
「かかりますよ。そして、長いんだよね、その半年がさ」
「そうかもしれないな」

「でも、人間は必ず忘れることが出来るからね。一度忘れてしまえば、また思い出したにしても、もうどうということはないからね」
「折角忘れたのに、また思い出すのはいやだな」
「だいじょうぶよ、一度忘れた後なら。もっともね、僕の友達で、ふられてわかれて、そのままずっと忘れられずにいてね、三年たって女が相手とわかれたらその後その女と結婚した奴がいるよ。あいつは、あれで幸せだったんだろうかな。僕ら、そいつを馬鹿にしてずいぶんからかったりしたものだったけどさ。ともかく、男というのは純なんだよね、女よりはずっと」
「そうかな」
「だって、女はわかれた次の日にだって忘れることが出来ますよ。たとえ、好きでいながら何かでわかれたとしても、次の相手が現われれば、もうその瞬間に前のことを忘れてますからね」

『わが人生の時の時』(新潮社)

男は、何であろうと別れた女を気にするが、女は殆ど気にしない

男は、何であろうと別れた女を気にするが、女は殆ど気にしない。

つまり、女は相手が何であろうと、相手と結ばれている今現在、その相手に自分を預け同化しようとすることに幸せを感じる。

それが愛情における女の現実性である。

男には、愛に関してどのような現実にも消されぬ、夢のようなものがある。

男はどんな恋愛をしながらも必ず、もっと違う、もっと充ち足りた他の何かをどこかで期待している。

それは、女がセックスの恍惚の中で男とその絶対値において、比べものにならぬ快感指数を極めることが出来る、ということでも証されるだろう。

男と女の間柄に関して、女には、現在しかなく、男には、いつも結局未来しかない。

女はとどまろうとし、男には放浪への本能がある。

そのギャップが、男と女の間の喜劇悲劇を生むことになるという訳だが。

『男の世界』(集英社)

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