石原慎太郎の理念・思想

国際関係論

二十一世紀の日米関係について

私たちはアメリカのように勝者至上主義ではない。アメリカがつぶれてしまってよいとは思っていない

私たちはアメリカのように勝者至上主義ではない。アメリカがつぶれてしまってよいとは思っていない。もちろんアメリカを凌駕する軍事大国になって世界制覇を考えているわけでもない。競い合うこと、そして共栄することが私たちの願いである。それが、多様性を生み出し、世界もバランスのとれたものになっていく。そのためにもいま、日本はアクセルを大胆に踏み込まねばならない。

そして、アクセルを踏まれ、起動すべき日本のエンジンは、国民そして国家が自らのマネーである「円」に、その意志を反映させることでのみ、真っ赤に燃え上がるのである。

『国家意思のある「円」』(光文社)

アメリカのむちゃな要求には「NO」と言えばよい

アメリカのむちゃな要求には「NO」と言えばよい。断固として言ってもアメリカは次の手を考えてくるだろうが、「NO」と言わない限り、アメリカ政府はアメリカの国民向けに、日本は愚図でのろまで言うことを聞かないので、アメリカ経済の足を引っ張るお荷物になっているという反日キャンペーンをいつでも好きなときにやれる。それをまた日本政府への脅迫材料として巧妙な対日カードとして使えるとアメリカは計算している。日本国再生スタートにあたっては、アメリカに対してはっきり「NO」と言うべきは言うことを政府も企業も国民一人一人も肝に銘じることが不可欠の条件と覚悟すべきだ。

『国家意思のある「円」』(光文社)

いつの間にか日本は、国家としての意思表示を欠き、世界中のどこからも疎んぜられる「商人国家」に成り下がってしまった

いつの間にか日本は、国家としての意思表示を欠き、世界中のどこからも疎んぜられる「商人国家」に成り下がってしまった。アメリカの思惑の通りに。いや、表向きは頭を垂れつつも、実利だけはしっかりと確保する商人としてのしたたかさがあればまだいいのですが。しかし円高円安の通貨の問題一つとっても、いつも相手のいい成りに要らざる大損を強いられてきた。まるで、鵜飼の手に操られる鵜のようなものだ。

『亡国の徒に問う』(文藝春秋)

日本がいつまでもアメリカの言いなりになっているということの意味を、日本人は、アジアのためにも深く認識しておかなければならない

東アジア地域の中で日本が果たしている役割を考えると、日本のアメリカ追随は理不尽なアメリカ外交をアジアに波及させ、アジア経済の成長にブレーキをかけ、世界経済全体の足を引っ張ることになり、即ちアメリカも決して望みはしないはずの世界経済の失速と混乱を招来しかねません。

日本がいつまでもアメリカの言いなりになっているということの意味を、日本人は、アジアのためにも深く認識しておかなければならないと思う。

『「NO」と言えるアジア』(光文社)

私がアジアとの付き合いを主張し、アメリカにもはっきりものをいうべきだというと、日本国内ですぐにあいつは反米だという声が上がる

私がアジアとの付き合いを主張し、アメリカにもはっきりものをいうべきだというと、日本国内ですぐにあいつは反米だという声が上がる。私にはこの反米という括り方がきわめて幼稚で卑屈な言い方だとしか思えない。つまり戦後五十年を考えれば、日本にとってアメリカは一種の宗主国だった。

日本が経済的にも成長して、なんとかアメリカと冷静につきあわなくてはならないときに、それを反米というラベルで論じようというのは、かつて自信喪失をしたときの認識をそのまま引き継いでいるとしかいいようがない。そういう言葉をつかう人は、じつに情けない日本人だと思う。

『亡国の徒に問う』(文藝春秋)

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